S3佐藤トレーナーのプロフィール2

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9.プロフィール2

7.社会人2

上司「フィットネストレーナーになってくれないか?」
私「えっ、やったことないですが・・・」

2週間の研修後、今度は神奈川県海老名市に転勤になった。

 ルネサンスは北海道から九州まである。関東圏だけだった私はラッキーな方だった。「海老名ってどこ?」と思ったが神奈川県の真ん中辺で、その後、長く住むことになるとは思ってもいなかった。
 トレーナーの勉強を開始し自分でもトレーニングを始めた。それまでは筋トレには興味はなく、28歳にして初めての本格的なトレーニングだった。その頃、筋肉はあまりなく軽いウェイトも上がらない。しかし、すぐに疑問が生じた。「このトレーニングをして効果があるのか? テニスが上手くなるのか?」そして悩んだ。どこを調べても誰に聞いても答えが見つからない。

そんな時、本屋で一冊の本を見つけた。

「新トレーニング革命―初動負荷理論に基づくトレーニング体系の確立と展開/小山 裕史」(イチローのトレーナーでもある。)ここに答えが書いてあった。しかし、難しい専門書で意味が分からない。それでも何度も読んだ。(※興味のある方、レンタルします。)
 そして、自分なりに理解したつもりである。周りにはそんなトレーニングをしている人は誰もいない。それどころか、「腹筋を行ってお腹の脂肪が取れる」と信じている。マニュアルにもそう書いてあった。

トレーニング指導について疑問を持ち始める。

「本当は違うのにな?」と思いながらジムに立っていた。その頃、ボディーパンプが流行りだし、筋肉を付けようとスタジオでアームカールなどが始まった。「あぁ~、誰も分かっていない」次にバランスボールが始まった。ボールの上に手をつき耐える。確かに筋肉は使う。
 社内のトップに私は分からないふりをして聞いてみた。「どうなんでしょうか?」と、やはり期待していたような答えは返ってこなかった。コナミにもセントラルにも分かっている人はいないようだった。

8.社会人3

その頃、アルバイトで鈴木孝夫が入ってきた。

 彼は横浜高校柔道部から東海大学体育学部に入ったばかりだったが、本格的なトレーナー希望の学生だった。見た目はボーっとしている印象を受け、他のスタッフからは評価を得ていなかったが、私はすぐに彼の非凡な才能に気付いた。
 彼はトレーナーとしてあらゆる情報を持っていた。その為に日本各地に講習や体験に行っていた。関東はもちろん、鳥取にまで行き、小山さん(初動負荷理論)にも会っている。古武術の甲野善紀、トレーナーの先駆け立花、埼玉の白坂義人、その他いろいろ。その都度、私は「どうだった?」と聞き、情報をもらった。彼は講習を鵜呑みにすることはなく、平気で「大したことなかった」と言うこともある。彼は私より11歳も年下だが、色々と教わった。また、唯一トレーナーとして負けているかもと思う。
[鈴木孝夫プロフィール⇒]

9.スカッシュに専念

スカッシュを夢中で練習する。

 海老名に来て、半年くらいであらゆる業務を担当することになった。気付いたらほぼすべての業務を担当していた。シフト、スタジオプログラム、ジム、スカッシュなど大変であったが、私はスカッシュ優先にシフトを組んだ。週末はいつでも休める体制を取り、休めないレッスンなどは土日に入れなかった。
 スカッシュレッスンはインドアで試合でもインドアだったので、テニスの時ほどギャップはなく、大会で少しずつ結果が出始めた。しかし、今度は練習相手がいない。仕方ないので練習は週に一回30分の壁打ちだけ。週に2回筋トレをコツコツと続けた。技術があっても体力がないと勝てない。体力があれば、どうにかなるはずだと考えた。

スカッシュ全日本選手権出場する。

 大会では負けたら終わりのトーナメントなので、油断できないが全日本ランキングが上がってきたら、いきなり強い相手には当たらない。1回戦は感覚を取り戻すくらいの気持ちで戦い、1セット目はいつも酷かったが逆転で勝てるようになってきた。2回戦の方がいつも調子が良い。
 3年くらい公認大会に出場し、関東大会で本戦ベスト16入りした。ベスト8に入らないと全日本には行けないが、辞退者が出たため、私に「全日本選手権の切符」が渡ってきた。

10.スカッシュ担当は外される

 トレーナーとしての知識量とスカッシュ全日本ランキングは順調に上がっていったが、それに反比例して社内での評価は下がっていった。私が全日本に出場したことで評価が上がるどころか、「スカッシュばかりやっている」という印象になり、スカッシュ担当を外された。
 私が海老名に来たころはスカッシュコートはガラガラだったが、3年で稼働率全国トップレベルにまで上がった。今でも海老名クラブは高齢者のスカッシュプレーヤーが多い。

11.転機

東京都墨田区両国に転勤になった。

 サラリーマンを続けようと思っていたが、そうもいかなくなってきた。翌年には東京都墨田区に転勤になった。短期の転勤ということだったので、海老名から両国まで通わされた。
 両国では片道2時間の通勤時間がかかり、業務終了後はすぐに帰らないと電車がなくなってしまう。着任して2週間後には、全ての業務が分かっていないとできないシフト作成まで担当していた。よって、トレーニングやスカッシュをする時間がない。時間がないのに業務は減らず、ストレスが溜まり体調を崩した。
 そんな時、会員さんで私を評価してくれる人が現れた。「中日ドラゴンズのトレーナーやサッカーチームのトレーナーの面接を受けてみないか?」と誘われた。名古屋は遠慮し、都内のサッカーチームのトレーナーをボランティアで始めた。

12.またテニスコーチに

 今後はトレーナーとしてやっていこうと心に決めた矢先に……。
上司「テニスコーチの契約社員になってくれないか?」
私「えっ、またテニスコーチですか」

千葉県千葉市花見川区幕張に転勤

 今度は千葉県千葉市花見川区に転勤になった。幕張はルネサンス発祥の地で入社当時は熱いコーチが熱いレッスンを行っていたのを今でも覚えている。しかし、当時の熱さは、なくなっているように感じた。会員さんからも「昔のコーチはもっと熱かった」なんて会話をしていた。
 3年以上のブランクがあってのテニスだったで、すぐに肘を痛めてしまった。初めての大きなケガである。私はいつも技術練習より体力強化を優先してきたので、大きなケガをしたことはなかった。週に1回の30分壁打ちではケガをするはずもない。

13.独立・開業

脱サラ

 肘が治らないので「テニスを少し休ませてほしい」と要望したが、受け入れてもらえなかった。そして、
上司「肘が治らないなら、フロントの契約社員になってくれないか?」
私「えっ、ちょっと考えさせて下さい」
 実は2年位前から、独立に向けて準備をしていた。トレーナーとしては自信を持っていたが、それだけでは開業は難しい。経営学やマーケティングもすでに勉強していたので、退社を決意した。
(※ルネサンスでは、色々とあったが「感謝」をしている。テニスの下手くそな私を採用してもらい、色々な業務を与えてもらった。学生の頃は「トレーナー」という言葉すら知らなかった。)

開業

 色々なスポーツを経験したことで、スポーツの共通性を見つけることができた。また、競技間での指導法の違いを知ることもできた。その経験を指導に活かせればと思い、縁があった海老名に戻り、始めは「スポーツマッサージ海老名」をスタートさせた。自分でチラシを作り、必死でポスティングした。その3ヶ月後には運良く軌道にのり、現在に至る。(完)
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